子育てするにはコンテンツが溢れすぎている
私は、子供達が20歳、30歳になった時に生きている世界がどうなっているのかな、と想像しながら子育てをしています。2040年、2050年くらいですね。
今世界が抱えている課題の延長線上になるので、割と考えがいのあるテーマとなるなーと思っています。自分もまだまだ現役で働いていますしね。
なので、たまにこのブログでも、子育てに直接関係はないですが、子供達の未来に関わる現状の課題、問題を取り上げて、考えたことをつらつら書いていこうと思っています。
今回は少子高齢化がテーマです。
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2022年度上期の日本の出生数は38万人*1でした。
年間を通して80万人を下回ると予測されています。
これは大変なことです。想定を上回る速さで少子化が進んでいます。
少子高齢化は日本が抱える最大の問題です。
このままでは20,30年後には経済規模の大幅な縮小やインフラ維持に問題が出て、日本は非常に住みにくくなる国になることが容易に予想できます。
私は日本が好きです。できれば子供たちにも日本で暮らしてもらいたいと思っています。でも、もしかしたらそれは叶わぬ夢になるかもしれません。少なくとも、日本のマーケットを対象にしたビジネスの多くは成り立たなくなるでしょう。自分自身がそもそも日本で生き抜けるかすら分からないほど事態は深刻です。
そんな危機を回避しようと少子化対策として様々な政策が日本で行われていますが、2004年を底として合計特殊出生率*2は2020年まで横ばいで進んでいます。
ですが、これは日本に限った話ではなく、先進国に共通した現象です。
以下の図1をご覧ください。
(図1 内閣府が発行している令和4年度少子化社会対策白書より抜粋)
2010年くらいから合計特殊出生率はどの国でも横ばいもしくは減少気味であることが分かります。
フランスやスウェーデンといった少子化対策が比較的成功していると言われる国でも出生率は1.6〜1.8くらいです。人口を維持するために必要と言われている2.07には届いていません。
さらに、このグラフには載っていませんが、福祉先進国と言われ子育てにあまりお金がかからないフィンランドで2019年度出生率が1.35まで下がり衝撃が広がりました。
この結果を見るに、政策が充実していても少子化を止められない現実があるかもしれません。
では、経済的な理由以外で子供を産まない理由はあるのでしょうか?何が原因でしょうか?
ここ10年くらいで出生率が上がらない理由として私が考えるのは、
「今の世の中は時間を消費して欲求を満たすコンテンツが溢れすぎていること」です。
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ネット時代になり、人間の一生の時間を使っても消費し尽くせないコンテンツが世の中溢れかえっています。
ネットゲームやYOUTUBE、動画配信サービスで際限なく時間を使い、
SMSでいいねを一つでも多く押してもらうために時間をかけて映える写真を撮りに行ったり、煌びやかな生活を送っているよう演出します。
承認欲求を刺激し人の時間を奪うことで経済は肥大化し、回ってきました。
こういった娯楽に通ずるコンテンツの消費は可処分時間の中で行われています。
可処分時間は24時間のうち睡眠や食事、仕事といった生活に不可欠な時間を除いた、自由に使える時間を指します。
式で表すとこう。
可処分時間 = 24時間 ー (生活に不可欠な時間)
この式のキモは生活に不可欠な時間に子育ての時間が含まれていないことです。
すなわち、我々は可処分時間を使って子育てをしています。
これが意味するところは、
子育ての時間とコンテンツ消費の時間は、同じ可処分時間という枠の中で時間を奪い合うライバルだと言うことです。
子育てとコンテンツ消費、どちらが選ばれるでしょうか?
その答えは、出生率の低下という形で現れているのかな、と思います。
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時間資本主義という言葉があります。
時間が最も貴重なリソースであると考え、時間対効果(タイムパフォーマンス、略してタイパ)の高さをなによりも重視する、という考え方です。
最近の日経新聞でも特集されていました。
倍速ニッポン(上)「タイパ」重視、楽曲イントロ半減: 日本経済新聞
動画の倍速視聴や0秒イントロの曲が増えていること、が象徴的です。
あまり待ちたくない、すぐに分かりやすい結果が欲しい。なぜなら、人生の持ち時間に対してこんなにも消費したいコンテンツが溢れているのだから…
そう考えると、子育てというのは最もタイパが悪いものと言えましょう。
子供が巣立つ約20年ほど、自分の人生を投入しなくてはならない。結果はすぐには分からない。そもそも見返りなんて要求する類のものではありません。
昔は子供は労働力として必要でした。百姓であれば田植えや収穫人員です。また、親の面倒を見るという役割もあり、子供は必須でした。子供を育てるというのはどちらかというと仕事に近かったと言えます。また、そんなに娯楽がなかったいう要因もあります。
人は生き方を選べなかったのです。
今は、自由に生き方を選べるようになりました。また、社会福祉が充実し子供がいなくても死ぬまで面倒を見てもらえるシステムができました。
このような状況下で、子育てとコンテンツ消費を可処分時間という同じ土俵で立たせてしまったら、全くもって子育てに勝ち目はないように思えます。
子供を育てることは何事にも変え難い幸福だ!それ自体に価値がある!という主張があるかもしれませんが、こんなにコンテンツが溢れ楽しい毎日を送ることができる時代を生きている若者に、その考えが響くことは少なくなっていくでしょう。
今の世の中は自分のために時間を使わせることが大切である、という価値観を植え付けることで、経済を回しているのです。社会が一体となってこの価値観を生み出していると言えます。
現在の価値観を作り出してしまったこと、が少子化の本質的な原因な気がします。
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では価値観を変えることでしか、少子化は解決しないのか。
今更、江戸時代のような考え方に戻ることは不可能でしょう。
生き方を自由に選べるようになったのは素晴らしいことです。これによって人類は豊かな生活を享受しています。なので、これは残しつつ打開策を考えたいところです。
どういう手があるのか、以下思考の流れを書いてみます。
可処分時間の式を再び見てみましょう。
可処分時間 = 24時間 ー (生活に不可欠な時間)
可処分時間はなるべくコンテンツ消費といった楽しみに残したいと考えると、
生活に不可欠な時間、の中から子育ての時間を捻出するしかない、という結論になります。
生活に不可欠な時間の中でも睡眠や食事の時間はあまり削れません。
そうすると必然的に仕事の時間を減らして子育ての時間を捻出する、ということになります。
あれ、待てよ、これって育児休業とか時短制度のことだよね。すでにあるじゃないですか。
仕事の時間を減らすということはその分収入が減るということなので、金銭的な補償が必要となります。
でもこの面の制度が最も進んでいるはずのフィンランドで出生率が下がっているので、金銭補償だけでは十分ではないのかもしれません。
仕事の中断はキャリアに影響しますので、仕事による自己実現に重きを置かれている世の中では金銭がもらえたとしても仕事の中断が何よりも損失、と考えるのは自然と言えます。
そうすると仕事の時間をただ減らすだけではダメなのか。
仕事と育児をはっきりと分けずに、育児が仕事にも役立つし、仕事が育児にも役立つ、という相乗効果を生み出せるような社会になるといいのかな…
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ということで個人的には、仕事の中に育児を取り込めないか、と考えています。
例えば育児メンターという考えを妄想していたりします。
が、長くなってきたのでこの話は別エントリーとして書きたいと思います。
ではでは
叱る時は怒っている「ふり」を心掛けたい
子供のしつけは悩みます。
なるべく子供のことを制限せずに自由にやらせてあげたい、そのための環境作りは親が頑張るというスタンスでやって来ているのですが、長男も2歳になり色んなことができるようになってくると、そうは言ってられない場面も増えて来ました。
例えば、ご飯をわざと床に捨てる、お皿同士をぶつける、両親を叩く、おもちゃを床に強く投げつける、椅子の上に立つ、など。
叩く行為はお友達に危害を与えるのが嫌なので叱りますし、ご飯を散らかされるのは感情的に嫌なので叱ってしまいます。。
やはり、子供が気の済むまで好きにやらせてあげたい、マナー等は言葉が理解できるようになる3歳くらいから伝えていけば良い、というのを現実に実行するのはほぼ不可能ですね笑
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さて、私は叱る時には怒っている「ふり」で済ませる、ことを心掛けています。
「自分は本当はそこまで怒っていないんだけど、しつけが必要なので怒っているふりをして叱っているんだ」
と自分の中で自分の振る舞いを客観視するようにしています。
叱る場面というのはこちらの感情も昂っているタイミングなので、気をつけないと怒りという感情を直接ぶつけがちです。
感情をそのままぶつけてるという行為は、必要以上に子供に精神的な負荷を与えるかもしれませんし、本来叱って伝えたかったことが伝わらずに、ただただ恐怖の感情が芽生えてしまうだけになるかもしれません。
そうすると子供は怖い思いをするだけでこちらの言いたいことは伝わっていないという、親にとっても子供にとっても不幸な状態になってしまいますね。
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叱るという行為は難しいです。
子供に「これはするべきではない」ということを伝えたい時に、自分が怒っている様子を子供に見せることで、子供は「これはしてはいけないんだな」と理解してくれます。
子供が「これはダメなんだ」と気づくレベルの怒りで十分なはずなのに、過剰に怒りを見せてしまったり。
怒りという感情は本当に制御が難しい。
感情に支配されないようにするために、一歩引いて冷静に自分の振る舞いを見つめる視点を持てるといいのかな、と思っています。
その一歩引くという行為として、自分は叱る演技をしている、と考えると効果的なのかな、と自分の経験から思います。
あくまで自分は子供を躾けるという台本に従って叱っているだけなんだよ、と心のどこかで思っておくことで、怒りのエスカレートに歯止めをかけやすいかな、と思います。
子供には立派に育ってほしいという子供のことを第一に考えた末のしつけでも、子供がどう受け止めるかを考えない振る舞いはマイナスです。
子供にこちらの意図が正しく伝えられるように、親として叱るというスキルをレベルアップさせていきたいですね。
イヤイヤ期は子供の成長過程だけど親も成長が求められる
みなさま、イヤイヤする子供の相手、頑張っていますか?
いやー大変ですね!
うちの長男はついこの間までは結構控えめな性格で、保育園でも他人優先、遊んでいたおもちゃを他の子が欲しいなーと言って近づいて来たら、譲ってあげたりしちゃうくらいの子でした。
もっと自己主張強くてもいいんだよ、とずっと思っていましたが、ここ3ヶ月くらいでその願いが通じたのか、立派に自己主張をする腕白坊主へと進化を遂げたのでした。
いやーめでたい!
でも、主張強くなり過ぎてしんどい!笑
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現状の長男は、とにかくなんでも自分でやりたがり、できないと癇癪を起こします。
飲み物を欲しがる時も、ペットボトルの蓋を取って液体をコップに入れようとすると、「フタ取りたいの!」と言って泣き叫びます。
とにかく、自分で自分で自分で。
また、こだわりが出るのか、ご飯は急に食べなくなるし、ご飯投げるし、お茶はこぼすしで、大人もイライラしてきて食事の時間は不穏な空気が流れます。笑
服も気に入ったもの以外は着なくなります。とにかくイヤ!を連発。
通称イヤイヤ期と言われる2~3歳の自己主張が強い時期は、第一次反抗期が正式名称のようです。
この時期の子供は自分でやりたいという気持ちと、親に甘えたいという気持ちを行ったり来たりする時期。
自己表現の練習をしているので、子供の気持ちに寄り添い、親がすべてを手助けするのではなくサポートを心がけて見守ることとし、子供が甘えてきたら手を差し伸べる、ことが大事とのこと。とにかく子供のペースを尊重し、できるだけ本人が納得できるまで時間をかけてあげたいですね。*1
第一次反抗期は自我の芽生えであり成長の証のため、喜ばしいことです。
しかし、いくら理想を述べたところで日々子供の相手をしている親にしてみれば、毎日子供の訳のわからない駄々や理不尽な要求に振り回され疲弊してしまいますよね。
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先日、以下のようなツイートをしました。
イヤイヤ期の子供は理性のない人間そのものって感じ。自分の欲望のままにやりたいことをし、食べたいものを食べ、気に入らないと散らかし泣き喚く。
— まよなか (@mayonaka_24h) 2022年9月24日
これも成長の一環と自分に言い聞かせ、ひたすら耐える。これは忍耐力をつける修行。涅槃の境地はすぐそこだ…#イヤイヤ期 #子育て #育児
まさに、イヤイヤ期に突入した息子の相手は修行のよう。
我が家よりも少し大きい子供がいる知人にイヤイヤ期をどうやれば乗り越えられるだろうか、と半分愚痴のように相談すると、「悟りを開くしかないね!」と返信がきました。やはりみんな修行しているんだな、、と妙に納得。
これまで従順だった子供は2歳前後で自己主張を始め、一人の人間として成長を始めます。
親としてもこれまで通りの接し方ではなく、一人の人間として尊重し、全てを手助けするのではなく見守る中心の姿勢にシフトしなくてはいけません。忍耐強く。
イヤイヤ期は子供の成長でもありますが、同時に親も成長しないといけないのですね。
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親は、このような理不尽さと正面から向き合い続けながら、子供の成長を見守らないといけません。
家族の生活がある中、子供のペースを守り、考えを尊重しながら、自分の感情をコントロールし続ける。
なかなかの無理難題に思えます。
親ってどうやって成長したらいいのでしょうか?
個人的には「悟り」は良い点突いていると思っています。
具体的に悟りってなんなのよ、ってことなのですが、知人の話や私の経験的から考えるに、「いい具合に諦めが出来ること」です。*2
そもそも、親である私たちがイライラする原因ってなんなんでしょう。
子供が思い通りに行動してくれなかったり、家事や仕事にタイミングよく取り掛かれなかったり、それによって計画が台無しになってしまったり。そういう、自分が思い描いていた計画を達成できないことに起因することが多いのかな、と思います。
自分の思い通りにいかない、これはどんな人間にとっても大きなストレスです。
まさにイヤイヤ期の子供が、このために癇癪を起こしているのです。
でも、大人は子供のように振る舞うわけにはいきませんよね。私たちは子供に、自分の思い通りにいかなくても感情のままに暴れてはいけないんだよ、ということを背中で見せなくてはいけない立場です。
思い通りにいかなかった時は、思い通りに行くことを諦めて、その現実を受け入れる、という行為が必要になります。
この自分の思い通りに物事を進めることを諦める、ことが出来るようになるのが、親としての成長するのことなんだろうなー、と考えています。
自分達が思い描いている理想は、子供の目線が全く考えられていないものかもしれません。自分の計画に固執するのではなく、子供のイヤイヤは子供からやりたいことの提案だと考えて、自分の理想を諦めてそちらに取り組んでみる、からちょっとずつ始められると良いですね。
子供の振る舞いを理解することが出来ない、で悩むことも多いです。
これも諦めです。子供の行動を理解することなんて初めから出来ないのです。
理解することは諦める、でも子供の振る舞いは受け入れる。肯定してあげる。
こうすることができるようになると、自分の感情もコントロールできるようになって来たのかな、と感じます。
これは親として成長した、と言っていいんじゃないでしょうか。
感情をうまくコントロールできるようになることは子育てに限らず、仕事にも良い影響を与えると思います。
部署間の折衝や上司部下との関係、チームの運営など、自分の思い通りにならないことはたくさんあります。
もっというと人生は自分の思い通りにいかないことの方が多いですよね。でもその度に怒っていても無駄なエネルギーを使うだけです。怒りはほどほどに、うまくいかなかったことは適度に諦めて、新しい道を探す。こういう方が限りある人生を有意義に過ごせるのではないでしょうか。
子供のイヤイヤ期を乗り越えるために培った、いい意味での諦めの力、を活用して人生の様々な困難を乗り越えていけると良いですね。
ではでは。
*1:ここの文章はベネッセ教育情報サイト「第一次反抗期は自我の芽生え!子どもの葛藤を受けとめ甘えさせてあげよう」を参考に作成。https://benesse.jp/kosodate/202009/20200928-1.html
*2:諦める、は実は仏教由来の言葉になります。リンク先参照です。悟りも仏教由来ですし、日常に用語が溶け込んでいますね。https://www.otani.ac.jp/yomu_page/b_yougo/nab3mq0000000qkz.html。
育児休業備忘録(3ヶ月経過)
9月中旬〜10月中旬の間の出来事を書いていきます。
次男の成長がめざましい!
目次
睡眠の質改善
寝るリズムが出来上がりました。なんと夜9時に寝て朝5時くらいまでずっと寝てます。なんていい子なんだ!お陰で寝不足はかなり解消しました。
これだけ寝てくれるので、念願の家族4人、寝室で寝始めました。
「さぞ上の子は嬉しかろう、ふふふ」と心の中でほくそ笑んでいたのですが、いざみんなで寝る生活が始まると、上の子は全く寝付かず暴れ倒すので、逆に苦労しています。その騒ぎを聞いて下の子も泣き出し、寝室は阿鼻叫喚の空間へと姿を変えます…
結局、上の子を片方の親が寝かしつけ、下の子をリビングで別の親が寝かしつけてから、上の子が寝た後に寝室に持っていく、というやり方になっています笑
2歳児どうしてこんなに寝ないのか。
寝かしつけ時に強く言いすぎて、息子にこんなことを言われました。
息子「パパはライオンみたい〜」
私 「えー、なんで?」
息子「ライオン怖い〜」
私 「!!(それはパパ怖いと言うことか?)」
まさかの三段論法でパパ怖いと言われてしまいました。もっと気持ちに余裕を持ちたい。。
笑顔
0歳児、とうとう笑うようになりました。原始反射じゃないやつです。
こっちみて「おっく〜」「うっく〜」言いながら笑いかけてきます。
これは可愛い!癒されますね〜。
体もお肉ついてぷくぷくになってきて、ようやく一般的なイメージ通りの「赤ちゃん」になってきました。
祖父母にも満面の笑みで絶賛対応中の息子です。なんて愛想良しさん!
確か、上の子も愛想よかったなーと思い出します。今は絶賛イヤイヤ期だけども!
でも上の子も可愛かったんだよなー、と思い出を胸に子育てに励もう…
お出掛け
0歳児の体がかなりしっかりしてきたことと生活リズムが整ってきたこと、気温が下がってきたことから、家族でお出掛けし始めました。
9月から10月にかけて休日が多くて上の子が家にいることが多かったので、家で遊び続けることがもう限界、という事情もありましたが笑
車で1時間以内の公園やショッピングモールをいくつか行ってきました。
また、祖父母に半日0歳児の面倒を見てもらって、上の子とディズニーランドに行ったりもしました。
上の子の時はコロナで外に出るのも億劫になってしまって、公園以外のレジャー施設にほとんど連れて行ってあげることがなかったので、下の子がしっかりしてきたらなるべく早くお出掛けしてあげたい、と思っていました。
驚いたのがショッピングモール。テーマパークと見間違うほどの子供遊びスペースがあり、使い勝手のいい授乳室があり、フードコートでお昼も食べれて、必要な買い物もできる。
家族連れはそりゃ来ますよ!と思える充実ぶり。ショッピングモールは子連れの味方なのね。でもお食事時はフードコートが混みすぎて席が全く空かず辟易しました。
お昼の時間をずらして食べれるよう、時間の使い方の戦略を練らないといけないですね。この考え方、ディズニーランドと全く同じですね。
子連れで気持ちよくお出かけしたいなら、行き先の特徴を知り、人の流れを予想し、いつ何をしたら最もストレスがかからないか、の下準備が大事と学びました。
また、お出掛けは親のリフレッシュにもなります。肉体的にはタフなのですが、精神的には楽になるので、鬱々してきたなーというタイミングでぜひお出掛けを検討してみてほしいです。
日々の献立
育児休業が終わった後が育児生活の本番です。
働きながら家事育児をしていくためには相当工夫しなくてはいけません。その生活を乗り切るために重要な要素となる、日々のご飯をどうやって準備するのか、を妻とともに考え始めました。
ご飯に関する我が家の基本方針は以下となりました。
- 朝ご飯はパンなり冷凍食品なり既製品ですませ、夜ご飯をメインで作り、昼ごはんは前日の夜ご飯の残り物、での運用。
- また夜ご飯は「一汁一菜」で考えます。メインのおかずと汁物を自分達で用意し、可能であればお惣菜を買ってきて用意する。
- メインのおかずはホットクックで基本的に作ることとし、時間がないときは焼けばいいだけの味付き魚をストックしておく。汁物は野菜を切って煮て味噌や鶏ガラを入れればいいので手間はかからない。
- また、食材宅配サービスのヨシケイも活用していて、週2回くらいはヨシケイに持ってきてもらう。
なので、今はホットクックで作りたいメニューに目星をつけて色々作ってみています。
実際に働きながら夜ご飯を準備する場面を考えて、限られた時間でメニューは作ることが可能か、野菜を切る手間が許容範囲か、など確認中です。
使用する材料が無駄にならないよう、使う材料が重なるメニューを並べて献立を決めていけることが理想。
その他雑感
徒然と…
- 生後2ヶ月過ぎたあたりから便秘になってきました。3日に1回くらい。お腹苦しくないかちょっと不安です。でも機嫌悪くなることはないから大丈夫かな
- 上の子のイヤイヤ度合いが強くなっていくに従って、育児休業を取得してよかったなと心から思います。
- また上の子の話ですが、気温の寒暖差が大きくなって体調を崩しがちになりました。育児休業中は余裕を持って保育園を休ませることができるので助かります。
- 下の子の生活リズムができてきたので、夫婦で交代して自由時間を作るようになってきました。本を読んだり、ブログ書いたり←。こうやって産後のメンタルを丁寧にケアする時間は必要だなーと感じます。
- 赤ちゃんのどんな世話を何時に行ったかを記録する「ぴよログ」というアプリがあるのですが、こちらの記録を止めました。上の子の時は日中僕はみていなかったので妻が記録して教えてくれていましたが、今は直接みて情報共有されるので更新する手間をかけれなくなりました。スケジュールアプリもそうだけど、一緒に長い時間いると別に記録としてわざわざ残す作業ができなくなりますね。
とりあえず激動の3ヶ月間を終えました。
生活リズムが整ってきてだいぶ落ち着いた日々を過ごし始めています。
では、また4ヶ月になったら振り返ってみたいと思います〜。
過去エントリはこちら
パートナーが自分の言葉をどう受け取るか意識して会話しよう
家庭の健全な運営のためには夫婦間のコミュニケーションがうまく行っていることが欠かせません。
でもコミュニケーションって一口に言っても難しいですよね。言語的なやりとりもあれば、仕草といった非言語でのやり取りもあります。
ですがコミュニケーションで最も意識すべき点は、相手がどう受け取るか、です。
言った側がいくら後から、そういうつもりではなかったと伝えても、言われた側にとっては関係ありません。
すれ違いを避けるためにも、相手がどのような受け取り方をするのかという癖みたいなものを把握しておくと、円滑にコミュニケーションをしやすくなるんじゃないかな、と思います。
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私と妻では言葉の意味の受け取り方がここまで違うのか、と思ったエピソードがあります。
映画「ノッティングヒルの恋人」を一緒に見ていた時のことです。
突然ですが、ここで読者の皆様にクイズです。
***
問題
映画の初めの方で、主人公が書店で万引きしようとしている客を見抜いて思いとどまらせ、その様子をそばで見ていたヒロインが主人公に向かって「万引きしようとしていたけど止めておくわ」という場面があります。
さて、この時ヒロインがこのような台詞を放った意図はなんだと思いますか?
***
私は、これは主人公を誉めるためにこう言ったのだと思いました。
万引きを見破ってお見事、をオシャレな言い方で伝えるなーと感心してました。
一方、私の妻はこの台詞を聞いて、
ヒロインは本当に万引きしようと思っていたけど他の客が見破られていたのをみて思いとどまったからそれをそのまま伝えたのだと思った、
と言うのです。
同じ場面でもこんなに受け取り方が違うのか!!と衝撃を受けたものです。
===
ここで言いたかったのは、自分ではこうに違いない、と思っていても、他の人が全く異なる受け取り方をしているかもしれない、ということです。
ここで、人がどのように言葉の意味を取り得るのか、を考える際の参考になるかなと思うので、ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化について説明したいと思います。
コンテクストとは文脈を意味します。
- ハイコンテクスト文化
言葉で表現された内容そのものの意味より前後の文脈から本当の意味や意図を察することを求める文化です。いわゆる空気を読む、ことを求められるんですね。 - ローコンテクスト文化
言葉で表現された内容が大きな価値を持ちます。言葉で表されたそのままの内容でコミュニケーションします。
ハイコンテクスト文化の人はコミュニケーションの責任を受け手に求め、ローコンテクスト文化の人はコミュニケーションの責任を話し手に求める傾向があります。
理解しない奴が悪い、と、理解できないように言う奴が悪い、の違いですね。
日本は最もハイコンテクストな文化を持つ国の一つと言われます。
アジアは比較的ハイコンテクスト文化で、欧州は比較的ローコンテクスト文化と言われることが多いです。
さて、上記は文化の話ですが、個人間(ここでは夫婦間)のコミュニケーションでも気を付けるべき点として適用できると考えています。
私たちは自分が言ったことを、受け手側が自分が意図している通りに受け取っているだろう、と考えがちです。受け手側に責任を転嫁してしまうことがしばしばです。日本人はハイコンテクスト文化なので、無意識にこのような行動をしてしまいます。
でも実際には全く違う受け取り方をしていることの方が多い、と考えた方がいいです。私と妻が映画の一場面ですら解釈が異なった通り。
なので伝える側が、どうしたら相手が自分の意図した通りに言葉の意味を受け取ってくれるのか、をもっと工夫しなくてはいけません。
相手が自分のことを分かってくれている、理解してくれている、という気持ちはまず捨てましょう。そして、自分の言いたいことはそう思った背景含めて丁寧に説明することを意識することが必要かと思います。
よく言われることですが、何も知らない子供に説明するにはどうしたらいいか、を考えて言葉を紡ぐといいですね。
また、言葉の受け取り方には個々人ごとに独特の癖があると思います。相手との丁寧なコミュニケーションを通じて、その癖を理解することで、相手が理解しやすい言い方がわかってくるはずです。そうすればコミュニケーションコストも下がり、より円滑なコミュニケーションが可能となるでしょう。
イメージとして夫婦レベルをあげていく感じです。長い時間一緒にいるのですから、一緒にレベルアップして強い夫婦になっていきたいですね。
相手が理解してくれるはずという気持ちに甘えるのはやめて、自分の言葉は自分が責任を持って相手に届ける、という意識を持つと、なんで言ったことが伝わってないんだ!という理不尽な怒りを抑えることに繋がり、健全なコミュニケーションひいては家庭運営につながるのではないでしょうか?
私も油断すると相手に解釈の負担を与えがちなので、ここに書いた点を意識して、相手がどのように言葉を受け取るのか分析し、自分の言葉が正しく伝えられるように日々鍛錬していきたいと思います。
ではでは。